ひまわり法の歴史 History of Himawari 〜 ひまわり法の歴史 〜 ひまわり法の誕生 1997年7月: 粉砕骨折では従来のtension band wiringでどうしても強固な固定ができない経験から、より強固な固定がないかを模索していた。 【田中和具先生】 そこで股関節の手術のときに大転子を骨切りして固定するために開発されて償還を取ったAI pinのセルフロックされる機構に着目した。5〜6本のピンを膝蓋骨の周囲から中心に向けて刺入しワイヤーで締結する固定方法を考案した。固定した最終型が向日葵の花が咲いた形に似ているためひまわり法と命名された。当時の新日鉄広畑病院で、1999年7月に田中和具先生によって最初にひまわり法が行われた。 20001年4月: 圓尾明弘が新日鉄広畑病院に赴任。ひまわり法の20例目から手術に携わるようになった。教科書で習ったことやこれまでの経験と明らかに違う手術の進め方に戸惑うこともあったが、術後の回復が明らかに早く、トラブルも少ないことに驚いた。 最初の症例報告苦悩の始まり 2002年: 中部日本整形災害外科学会で初めて報告。最初の報告の質疑応答でこれまでにもK-wireとソフトワイヤーで同じことはやっていた。本当に固定性が得られるのか?と厳しい指摘を受けた。しかし、セルフロックされる機構を持つひまわり法が固定性は優れていると体感していたため、力学的な評価が必要と確信した。 まだまだ、人々に受け入れてもらえず、なんとか理解してもらうためには基礎的な研究が必要と感じるようになった。そして、新日鉄広畑病院から車で30分くらいの位置にある当時の姫路工業大学、現在の兵庫県立大学との共同研究によりひまわり法の力学的な研究を始めるようになった。 2006年: 日本整形外科基礎学術集会 模擬骨を使った基礎研究を報告。ひまわり法が従来の方法に比べて力学的に優れていることを報告。 模擬骨では説得力がないと指摘を受けたので、屍体を使った力学試験を行うためにオーストラリアに渡航。5日間の滞在でデータを出して帰国。 2007年: 日本整形外科基礎学術集会 屍体を使った基礎研究を報告。ひまわり法が従来の方法に比べて力学的に優れていることを報告。 苦悩から発展へ 2011年10月: 学会で初めての教育研究講演。中部日本整形災害外科学会 宇部。 部屋に入り切らず立見席が出て、弁当も足りないほどの盛況。 この頃から広くひまわり法が受け入れられるようになった。粉砕骨折での固定性では明らかに有利であるが、手術手技も難しいため各地でワークショップを開いていくことになる。 2012年: 日本骨折治療学会でランチョンセミナー 糸満先生を座長に迎えて講演を行う。 2014年5月: 日本整形外科学会での口演 臨床成績を報告 2015年6月: EFFORT (European Federation of National Associations of Orthopaedics and Traumatology)で発表。これを機にAi-pinを販売している会社へ、海外への展開を視野に入れた製品開発を申し入れるも断られる。 【圓尾明弘】 2015年9月: 日本骨折治療学会の研修会でひまわり法を紹介 突然の方針転換 2016年9月: 中部日本整形災害外科学会 松本 会社の方針転換により、このセミナーを最後に新たなセミナーが開催されることがなくなった。ホームページも閉鎖。ひまわり法を正しく啓蒙していく術がなくなった。 Cubex Medical社の設立 2017年7月: どうしてもひまわり法のための究極の器械を作りたいとの想いは諦めきれず、新たに会社を設立し開発することを計画。 2022年4月: Cubex Medical 株式会社が設立 究極のひまわりを目指して開発を開始。250例を超える臨床経験に基づいて、手術器械を刷新。究極のひまわりを実現するには壁があるのでさらなる開発を継続し、まずは改良を加えたシステムを完成させる。 2022年5月: 製鉄記念広畑病院と循環器病センターが統合し、はりま姫路総合医療センターとして開院。 製鉄記念広畑病院での実績やデータはそのまま引き継がれる。 究極のひまわりを目指して念願の製品化 2022年6月: Helios locking pin and sleeve systemをリリース。